坂本のこだわり
日本一のそばの産地
その後、冷涼で昼夜の寒暖差が大きい気候風土との相性も良かったことから年々作付け面積も増え続け、10年後の1980年(昭和55年)、市町村別で作付面積・生産量共に日本一となりました。
その後以下の取り組みもあり、今では作付面積は3,500ヘクタール、生産量も2,900トンを超えるまでに成長しました。
・1994年(平成6年) 「幌加内町新そば祭り」の開催
・2000年(平成12年) そば乾燥調製施設「そば日本一の館」の運用開始
・2001年(平成13年) 町独自の新品種である「ほろみのり」の誕生
・2012年(平成24年) そば乾燥調製施設「日本一のそばの牙城」の運用開始
・2014年(平成26年) 利雪型低温倉庫「雪乃御殿」の運用開始
小規模生産者として、できることはすべてやってみる
そばの栽培は水はけが重要です。長雨が続くなど畑の排水が滞ったら、そばはたちまちダメージを受けてしまいます。
そばの坂本では、土壌分析して土づくりをした20haほどの農地に暗渠(あんきょ)排水を整備し、大事なそばを湿害から守っています。
【収穫】
祖父の代に北海道に入植して以降代々そばを作ってきた長年の経験から、天候を感じつつ黒化率(そばの実が黒くなる割合)を予想し、最適な収穫日を割り出して収穫します。
また、収穫したそばは自然乾燥させ、豊富な雪資源を活用する町の保存施設「雪乃御殿」で保存するほか、一部は自分の倉庫の地下室でも冷温保存します。
【製粉】
製粉はその年の粉の性質を見極め、小さな石臼に落とす玄そばの量と甘皮を引き込む時間を調整するのが技の見せ所です。
熟練の技が、大切に育てた玄そばを粗引きでありながらもふわっと打ちやすい粉に仕上げます。
風味を損なわないよう、ご注文をいただいてから製粉してお届けします。
そば栽培に最適な環境
特に坂本の畑がある下幌加内地区は、早朝に発生する霧が昼夜の急激な気温変化を抑えてくれるため、甘味のある上質なそばに育ちます。
幌加内では多くの家庭で日常的にそばを打つ文化が根付いており、ある家でそばを打てば近所にも振る舞われることも多い。
また地元の幌加内高校は、そば打ちが必修科目となっている全国でも珍しい学校で、全麺協(全国麺類文化地域間交流推進協議会)の素人そば打ち段位認定試験を受けることが義務付けられています。
それだけに段位認定者も多く、人口1,500名ほどの幌加内において最高段位の6段位認定は3名と、他の市町村と比較して断トツに多い
※6段位認定者21名中、北海道内9名:2022年4月(令和4年)現在
坂本は幌加内の6段位認定者3名のうちの1名であり、段位認定会の全国審査員を務める傍ら、幌加内高校の「そば」授業の講師としても活躍しております。
駅舎とそばは地域の宝
平成7年に幕を閉じた旧深名線(深川-名寄)の沼牛駅です。
沼牛駅は昭和4年に生まれ、坂本が子供の頃から慣れ親しんできた駅舎。
旧深名線廃線後は老朽化の為再利用の用途も見つからず、何度も解体の話が持ち上がりましたが「思い出がたくさん詰まったこの駅舎が取り壊されるのはあまりにも寂しすぎる」。
そう考えた坂本は町から駅舎を譲り受け、補修や雪下ろしをしながら20年近く一人で守ってきました。
「体力的にいつまで続くのか」と思い始めた頃、そのひたむきな姿に感動した若い世代が次々に集まり、廃線から20年の節目にあたる平成27年、ついに沼牛駅は現役当時の姿を取り戻しました。
同年復活を祝うイベントが開催されましたが、町民や鉄道ファンはもとより、すでに町を離れた人も合わせると500名以上の人々が集う期待以上の賑わいとなりました。
その時、楽しそうにそばを振る舞う坂本の脳裏には、学生や主婦、行商人で賑やかだったころの沼牛駅の姿が思い起こされていたに違いありません。
こだわりの低温熟成 「ねむり雪そば」
そばにもさまざまな品種が あり、北海道の主流はキタワセソバですが、ねむり雪そばは幌加内町独自品種の『ほろみのり』を使っています。
収穫後のほろみのりを一旦低温貯蔵して熟成させます。
その後、麻袋に入れた玄そばをシートに包み、雪で覆って約半年間ほぼ零度の氷温熟成を行い、掘り出したあとも冷蔵庫で保管します。
自らそばの生産から製粉までを手がける坂本がこだわりで作る、雪の中で低温熟成させて甘みが強く上品な自慢のそばです。
例年、「幌加内そばの日」(7/31)前後の1週間のみ「幌加内手打ち蕎麦店経済研究会」会員店舗と協賛店の店舗で召し上がれます。数量限定となっています。